「やっと動いてくれんのか、あれは」

「そのようですね、この一ヶ月は様子見ということだったのでしょうか」










丁度、陽が真上に昇った辺りの時間帯。



万事屋は日当たりが悪いので、陽がどれだけ昇ろうが温度上昇に全く貢献しない。

かといって風通しは良いので、店内はジメジメしているわけでもなく。

沙羅と星夜は相変わらず、畳の上で隣に並んでいた。



「とりあえず、空がどこまで行けるかが見物だ」

「悪趣味ですよぉ?見物だなんて」

「ふん、悪趣味結構。あいつのためって理由がありゃぁ良いだろ?」



今は昼休みあたりであろう、学校に行っているはずの少女の姿が目に浮かんでくる。

短期間にしては随分と上達を見せている彼女へ、新たな訓練を押しつけるのだ。

それを乗り越えられたなら大したもの、乗り越えられなかったらそれはそれでどうにかなる。

別に彼らは、彼女を見捨てる気などさらさらないから。





「どっちにしろあの酷、容赦はしねぇがな」





拳を掌へ叩きつけて、良い音を響かせる沙羅。

眼光は鋭い、その先にいる対象は今ここにはいない。

けれどおそらく、もうすぐ彼女の視界に入る予定。

相手には勿論のこと、拒否権は与えられていない。



「根に持ってますか、やはり」

「根に持ってるんじゃねぇ、この俺を敵に回したことを後悔させてやるんだよ」



どっちにしろ、同じ意味ではなかろうか。



決して口にはせず、星夜は苦笑するしかない。

限りなく同情していた、その存在に果たして未来があるのかどうか。

やはり合掌しておこう、と彼は両手を合わせる。



「楽しみじゃねぇか、久しぶりに」



そんな彼の様子など全く見ず、沙羅は笑う。いや、嗤う。

新しい玩具を見つけた子供のような表情、そこには残酷さが上乗せされている。

どうやら、満足するまでお相手をしてもらうらしい。強制的に。





本当に少女を狙っている酷は、この会話内容を知るわけがなく―――――――。















   *   *   *   *   *   *   *   *   *   *















妙に、気分が悪い。





精神的なのモノかどうかは知らないが、とりあえず頭に鈍痛が走っている。

朝起きた時からというのだから、なかなか厄介だ。

かといって熱があるわけではない、仕方ないから学校には登校した。

授業中も襲ってくる、別に倒れるほどのものでもない痛み。

そういうのが一番鬱陶しい、保健室に行くほどでもないからだ。

顔色も悪くはない、だから嘘をつこうにもきっとバレてしまう。

いや、気分は悪いことは悪いが、多分信じてもらえない。

何とか一日を乗り切ったものの、ぶっちゃけて言えば授業内容なんて一つも頭に残ってはいなかった。



(あああもう、何なんだ気色悪い)



今はもう放課後で、部室に来ている。

美術部に所属している私は、今は油絵に挑戦中。

初めてするものだから、とりあえず何かを描くわけでもなく絵の具とか油に慣れるためにごちゃごちゃと塗り重ねている。

それでも何だか作品っぽくはなっている気がする、「無題」とでもすれば丁度良いかもしれない。

だが、そこから香ってくる独特の臭いが頭を痛みを増大させている気がしなくもなく。

今日は長時間、筆を手に持つわけにはいかないようだ。

こんな所にまで支障が出てくるとは、なんとはた迷惑な頭痛だろう。



(……頭痛薬、飲んだらマシになるかなぁ)



出来れば明日までには消えておいてもらいたい。

かといって病院に行くのも面倒なので、帰り道に薬局屋に寄ることを決めた。

確か、家にはもうロクな薬がなかった気がする。

もうとっくに消費期限が過ぎているものばかりだったはずだ。

効果があるどころか、逆に悪影響がありそう。

溜息を吐きながら、なんとか絵の具を塗り重ねたり混ぜたり、キャンパスにのせていく。

周りの部員もそれぞれ好きなことをしている、時間制限もないから早めに切り上げることも可能なのだ。

ちょっと今日はいつもより時間を短くすることにする、今の段階でもかなりキツイ状態だ。



(最っ悪、…………昨日も昨日で、帰れとか言われたしなぁ)



思い出すのはとてつもなく理不尽に感じた、沙羅さんの発言。

どこか心に靄を生んで、今でも消えてくれはしなかった。

万事屋に足を運ぶことが躊躇われる、また追い出される状況になるようで嫌だった。

けれど言霊の練習が出来ないのも嫌だった。

仕方ないから、少しだけでも寄って行こうかとも考える。



(あっ、万事屋に頭痛薬があれば早いんだ……いや、でもあるかなぁ、あそこに)



もしあるならば、薬局に行く必要がなくなる。

っと一瞬思いついたが、果たして彼らに薬というものが必要なのだろうか。

それ以前に、何かしらの体調不良を起こす可能性があるのかどうか。

熱を出して寝込んでいる、という姿が想像出来ない。

薬があることを期待するだけ無駄だろうか、やはり薬局に寄ろう。















   *   *   *   *   *   *   *   *   *   *















(忘れ物もないよな、よし。帰ろ)





部活仲間に一声かけてから美術室を鞄を持って出て、下駄箱へ向かう。



陽はもう随分と長くなった、暑さも増して春と夏の間辺りにいる気分。

まだまだ他の部活は終わっておらず、あちらこちらから声が聞こえてくる。

その空間を通り抜けて、一階へ駆け下りた。美術室は最上階である三階に位置しているからまぁまぁの距離。

ドタバタと音を立てつつ、足を踏み外さないように気をつけた。

こんなところで転けて頭を打てばそれこそ終わりだ、二重の痛みに耐えられるわけがない。

やっとのこと一階に到着し、迷うことなく下駄箱へ向かう。





自分の出席番号のシールが貼られている所から、自分の靴を下ろし。

脱いでいる上履きを変わりにそこへ入れて。

踵を少し踏んだ状態で外へ出て。

途中でちゃんと靴を履いて。

校門まで一直線に早歩きして。

薬局に向かう道を辿り。―――――――――?










下駄箱のある場所に、足を踏み入れた、瞬間。



そんな頭の中に一瞬で組み立てられた予定など、雪崩の如く流れていってしまった。

グニャリ、と言う表現が一番合うだろう。まるでスライムで満たされた空間へダイブした気分。

全身に何かがまとわりついて離れない、それは質量も伴っている。

どんどん鉛が背中に乗っかっていく、それを止める術など私は知らない。

動悸が頭にまで響いて、さらなる痛みを引き起こした。

いや、違う。今日一日中悩ませていた頭痛が、鈍さを捨てて【鋭さを持ち始めた】。

咄嗟に両腕で頭を抱える、中心から何かが爆発しそうになっている。



脳内に爆薬をしかけられた覚えなど、ないのだが。





「――――っ、は、ぇ、ぁいっ、いたっ」





呻き声すらまともに出てはくれなかった、下駄箱にもたれ掛かるように私は崩れ落ちる。

額から大量の汗が生まれている、首はもう言うまでもなく。

視界がぐらついた、まともに立てるわけがない。

己の重心を忘れたようで、上下左右も分からなくなってくる。

何だ、こんなにも重い症状だったのか、この頭痛。

しかし、いきなり悪化せずとも良いだろう。

それなら朝からなっておいてくれたなら、学校を休める口実にもなったのに。



(こ―っんな、帰る、時、に)



舌打ちをし、荒く呼吸を繰り返す。

ほとんど一日が終わってしまったも同然の時間帯に、どうして倒れるほどのものが襲ってくる。

誰かが通りがかってくれたなら、先生に連絡してくれて病院に行けるかもしれない。

とりあえず、私は動かないことにした。否、動けないから、そうする以外に何も出来ない。

まさか、一人もここを通らないことはないだろう。下駄箱だし。

頭痛を恨みに恨みつつ、私は瞼を閉じる。開けていることすら辛くなってきたからだ。

幸い、吐き気はしていないから良い。



これ以上何かを上乗せされたくはなかった。















これ以上、面倒事を、上乗せされたくはなかった。



































『弱ぇ』















グラグラと大地震の起きている頭に、叩き込まれた嘲笑。

大津波と化している光景に、巨大な剣が突き刺さるかのよう。

驚愕し、声の主を確認しようと顔を上げようとした。

腕に力を籠めて、ふらつきつつも立とうとも思った。





『こんくらいのことでぶっ倒れんなよなぁ、どんだけ貧弱なんだてめぇ』





しかし、首に衝撃が走る。



骨が軋んだ音が、嫌でも耳に届く。

横に寝ている状態から、強制的に仰向けにさせられた。

背中を打ち、息が詰まる。

がっしりと首は掴まれているようで、一瞬肺の動きが止まったような錯覚に陥る。





『あれから一ヶ月、やっと出て来てやったんだ。感謝しろよ?』





けれど確実に、脳へ酸素供給が追いつかなくなっている。

私の首へ伸びている手を掴み返したが、何ら変化はない。

力に差がありすぎる、抵抗しようにも無理があった。



いや、―――待てよ。










「おまっ、酷ッ?」

『はっ?…今更かよ、何言ってんだ』










掠れた声しか出なかったが、それだけを確認出来れば充分。



すぐに思考がフル回転した、意識がはっきりする。

苦しい、けれどそれから解放されるための術を、私は知っているはずだ。

何も出来ないことはない、抗えるはずだこの手に対して。

散々、練習してきたではないか。

一生懸命、覚えてきたではないか。

あの店で、星夜さんに教えてもらい、沙羅さんへ向かって発動してきたではないか。



それは何のためだ、それは自分の身を護るためだ。










「 陽の、絢――爛なっる、帯をッ 」










辿々しい、だがこの状態では綺麗に暗唱など出来なかった。



相手の腕を掴んでいた手を離し、変わりに彼の顔へと向ける。

集中しなければならないが、今は出来るだけのことをするしかない。

とりあえず言霊を発するしか、ない。





「 纏、いしそ―なたの背、をっ  永久に視、―ることはっ、なく 」





丁度、燦々と相手の後ろには陽の光が降り注いでいる。

校舎の窓を貫通し、いとも簡単に侵入してきている。

どうか、力を貸してくれ。





「 拘そ―くせしっは尊、き鎖  強制きか――ん、執っ行 」





両掌から、うねりが発生する。

私の念が、その光に絡みついた。

相手の顔面に狙いを定めている言霊は、そのまま狂うことなく効果を発揮。





けれどなぜか、これから起こることが分かっているであろう相手は、微動だにしない。





(なっ―で、逃げなぃ?)





それどころか、笑っている。

首から手が離れる気配はない、しかしそれ以上締め上げることもないようだ。

そうして言霊が、いとも簡単に直撃する。

微かに煙りも伴ったそれは、相手の顔をのけぞらせた。



それでも、手の力は緩むことは決して、ない。





『そんなもんで、対抗出来ると思ってんのかぁ?』





そして、無傷。



あっさりと前へと顔を向け直した彼。

髪の毛一本も切れてはいない、無傷というよりもまるで攻撃など受けなかったかのような。

愕然とし、混乱の渦へ落ちた。

少しでも、少しでも何かしらダメージを与えられたと思ったのに。

今までの訓練は、何だったのか。

やはり集中力が足りないせいか、だが首を締め上げられている時にどうやって集中すれば良い。

窮地に陥る、どころの騒ぎではない。





絶体、絶命。





『まっ、結局はこんなもんってことだな』



今度は、本気で力を籠められた。

先ほどまでは手加減されていたのか、まるで私の行動を楽しむためのように。

気管が細くなっていき、本格的に呼吸という動作が出来なくなる一歩手前。

抵抗する気も失せてきた、何より酸素が足りなくなってきている。

暴れようにも、相手が酷であればどれだけしても無駄だ。

言霊が効かなければ、何も出来ない。





何かしても、どうしようもない。










『おっ、何だ、もう死ぬ気になってくれたのか?楽な奴だなぁ』










ケラケラと思いっきり笑われて、霞んでいく意識の中で相手の顔をまともに見た。

逆光で見にくかったが、それでも一際鮮やかな一色だけ視界に焼き付く。

それはある意味で、冥界への道でも示してくれていたのだろうか。





何の躊躇いもなく、彼に体を支配され――――…かけ、た。
























―――――――パンッ――――――――――――――

























突然、私の首を掴んでいる彼の腕が、何の前触れもなく破裂。